「初めに言葉ありき」

 

※愛犬ランと田舎道を進む 

 

世の中?人間界?のカラクリに気づいた人々は、静かに平凡にひっそりと暮らしているだろう。
声高に何かを叫ぶ必要などなく、ありのままを受け止めて、ひっそりと人間を実施しているだろう。

全ての意味は言葉で成立させている。もはや、人間は言葉なしでは成り立たない。でも、普段空気の存在を意識しないように、言葉の存在を忘れ、四六時中、言葉をいじっている。
言葉が全てを構成させているという仕組みに気づくと、「初めに言葉ありき」という聖書の書き出しはとっても感慨深い。

「光りあれ」と最初に神が言ったから光りが出来た。神の言葉が、順次全てを創っていった。ということではなくて、

「何事も言葉があるから、あることになっているんだよねー。言葉があるから、それがあると言う事が出来る。言葉がなかったら何も無いんだよーん。」
ということを言っている気がするんです。
つまり、最初に神のお言葉があったのじゃ。という意味ではなく、物事の全ては言葉が形作っているのである。という意味ではないかと思うのです。

そして、さらには、近頃気になるスピリチュアリズムな魂のお話。

魂として、あらかじめ定められた運命を経験するのが人間の一生なのだとしたら、魂はいろいろと考えたということですよね。

考えるためには言葉が必要なはず。するってーと、言葉は人間が創ったものではないんですね?

 

真実を知ることは出来そうにないけれど、思いを馳せれば気が遠〜くなる話でございます。

 

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