「LA MARATHON 2009ファミリー・チャレンジ

 

US駐在中の目標のひとつとして私がセンエツながら勝手に掲げていた「LA MARATHON家族全員で完走!」。

初挑戦のフル・マラソン(42.195km=26.2miles)に備えて数ヶ月前から週末に家族で起伏のある家の周りのジョギングを実施。

加えて、血行を良くするために私は頭皮のマッサージを入念に行なった。

そして、ついに5/25mondayメモリアル・ディのその運命の日を僕たちは至って冷静に迎えた。

初挑戦のフル・マラソンのスタートに並ぶと、前方に広がる85億人。人、人、犬。

 

いよいよ、スタートしたものの、さっそく、MILE 1地点での仮設トイレでおしっこ渋滞してる人は、どう見てもマラソンが本気には思えない。

 

MILE 5 全てが順調。この後の苦難を誰が予想しただろう。

MILE 6 娘のりか11歳、左足の甲の痛みを訴える。シューズを緩める。でも、笑顔。

 

ベビーカーを押しながら走る人。ゼッケンをつけたまま、軽快にマクドナルドに入っていく人。普通にコース上で犬の散歩をしている人。

デジカメを持って走る人。様々な人間模様がさわやかに交錯する。

 

MILE 9 娘のりか11歳、また左足の甲の痛みを訴える。もう、ちょっとシューズを緩める。

 

そして、道端からの声援のメッセージがなんとも熱い。言葉って素晴らしい。人間捨てたモンじゃない。
「Everybody's looking good!」 「You can do it!」  「You are my hero!」

「Almost there!」しかし、中間前にしてAlmost thereはないでしょう。


さらに、まったくの個人的なボランティアでカットフルーツやアイスやキャンディーを配ってくれるアフリカン・アメリカンやヒスパニックな人たちがたくさんいた。

彼らは、一部の、勘違いに目覚めることのない高飛車でエリートな人よりも、確実に人間の本質を知っていると言わざるを得ない。
こんなたくさんの応援者やボランティア精神に迷いのない人々に強く支えられている大会だと痛感。

給水からヴァセリンの配布、そして散らばった紙コップの掃除に奮闘してくれるボランティアの方々は有難くお疲れ様でございます。

ボランティアで一日立っていただけで、翌日学校休んだかずきの友達が高校にいたそうだ。

 

↑クリックで動画(音量注意)

MILE 10

おなら発射による前方への推進力を得る作戦は娘にはウケたが、妻には不評でして。

そんな冗談も休み休みにしています。

 

並木道のジャカランダがきれいです。記念写真を撮っている場合か!

 

MILE 15 約4時間経過。 

練習したのは13マイルまで。未知の世界へ突入。

私は、練習中には経験しなかった右膝の違和感を感じる(力士か)。CRCを買っておかなかったことが悔やまれた。

心臓はまだ余裕なのに、足のタフネスがないことが明るみになったのだったのだっす。

サロンパス・スプレー・サービス・エリアで、私も吹きつけまくってもらえばよかった。

歩きの時間が多くなってきた。マラソンではなくWalkingに参加したのだと自分の切ない胸に言い聞かせる。

じーちゃんもいっぱい参加している。しかし、すばしっこくて追いつけない。くっ。

 

MILE 22 約6時間経過。両ももが痛い、娘のりか11歳、普段の陽気さが消えてしゃべらなくなる。

私は腰が砕けた上に、両足首骨折と膝が爆破してしまい、やや骨肉腫を発症したらしくパワーが出なくなってきた。

しかも、新型インフルエンザも発症したのか、不思議にヤル気が出ない。視覚中枢もやられてしまったようだ。もう、終わりか。

いや、だが、奴にも急所はあるはずだ。やつの弱点を探せ。

 

MILE 25 娘のりか11歳、もう歩きたくないと涙ぐむ。手をつないで、いっしょにがんばろう。

私はついに手がむくんできた。これは突然死の兆候ではないのか?いよいよ、お迎えが来ちまったようだ。

 

MILE 26.2 衰弱死寸前の私に、やっと見えた「Finish」。

3人でいっしょにびっこ引きながら走ってゴール。約7時間半経過。

後半は、すっかり歩き通しになってしまった。

なぜ、最初は走ったのだろう。最初から歩いていれば、もっと早いタイムだったんじゃないのか?

それにしても、7時間半も連続してひとつの事に集中することなど、めったにない。

したがって、私たちは偉大な功績を残したと共に、参加した14,000人の頂点に立ったことになる。(ならない、ならない)

 

振り返ると、妻が機関銃のようにしゃべり続けたことで私たち家族の理性は保たれた。

単独ロンリー参加だったらなら、20マイルを越えたあたりで悟りを開くか魔物と出会い、やがては三途の川を何度も往復し、はるかなる宇宙へと旅立っていただろう。

 

スタート直後に姿が見えなくなった息子かずき15歳は、毎日Palos Verdesの山を走っている豊富な練習量に裏付けられた自信から、無理のないペースで走って行ったが、

さすがに未経験の20マイルを越えたあたりには予想外の膝下の疲労に、登坂路で無念にも歩いたと当日の後日談で明かしたのだった。

偉大なる母(妻)の記録(ホノルル4時間半)を超える目標を達成出来なかった彼の無念さは察するに余りある。

 

少し、休んだら感慨に浸る間もなく帰宅。運転のおとうさんを除き、全員即座に寝た。

翌日は、全関節骨折状態のため、階段を普通に上り下りすることなど、みんな決して出来やしない。

そして、こどもたちは、来年はフル・マラソンには出場しないと申しております。ふふふ。

 

Kazuki Hanada #9110 5:51:02
Mitsuo Hanada #5416 7:34:24
Ikuko Hanada #9109 7:34:24
Norika Hanada #9112 7:34:26

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